”ないもの”つくります

”ないもの”つくります

第三集 発明家 藤村靖之さん

「非電化工房」主宰の発明家藤村靖之先生にインタビューしました。

かねてより久宝金属は、デザインを「ライフスタイルの提案」と捉えて新製品開発をしてきましたが、この度、先生の「非電化」と久宝の「Q-ho natural style」が「非電化籾すり機」という非電化ライフスタイルを提案する一つの形になりました。

3.11の地震と原発事故以降、ますます注目を浴びている「非電化」というライフスタイルとものづくりについて先生と語り合いました。

(以下F藤村先生MTED川添光代です)

「非電化」は節電ではなく、ライフスタイルなんです。

M:「非電化」は ライフスタイルの提案とおっしゃっていますでしょ。それがとても素敵だと思ったんです。「否」でもなく「反」でもなく、「全く新しいライフスタイルの提案」という所がとても素晴しいし、ユニークだと思います。
私達は どうしても事象にとらわれて「アンチ」と成りがちですが、「果てしなく経済発展していかなくてはならない」社会に対して、「全く新しいライフスタイルの提案」をするキャッチフレーズとしての「非電化」が有るんだと思います。
その「非電化」という言葉に込められた思いをお伺いしたいと思います。

F:「非電化」はね、西暦2000年に編み出した言葉なんです。その頃に丁度、もう一度自分の役割を定義し直したくなって、色々考えたんです。一つの役割を定義してそのままで居ると、いつの間にかねじれて曲がってしまう事が多いじゃないですか。良い事やっているはずなのに、いつの間にか欲望が膨らんでっちゃったりしてね。それで時々自分の役割を定義し直したくなるんです。世紀の変わり目という意識が有ったのが一つ、もう一つは最晩年の仕事になるのかなと思って、西暦2000年に定義し直す事にしたんです。

世界中をずっとほっつき歩いているとね、世の中が年々おかしくなってきている。ほんと、おかしくなってきているじゃないですか。困っている人が 年ごとに少なくなっていくはずなのに、だんだん多くなっているんですもんね。そこがとても切ない。

若い頃から 科学や技術が人を幸せにすると思って これ以上勉強できないというくらい勉強もしてきたけれど、現実には、幸せにするのはちょっぴり。そして不幸せになっていく部分がものすごくたくさんで、本当に残念無念。科学や技術は経済の道具になっちゃっている。
そして今、僕たちが歩んできた道は確実に間違っていると分かっているのに、続いてきている国々に、反省を活かした事を勧めないで、その経済成長至上主義を押し付ける。そして、そこに日本人も加担しているのが残念だなって気がするね。
そういう所に持っていくのは絶対にハイテックな技術、つまり電気というか、マイクロエレクトロニクスなんだよね。そんなものを持って行っても、ますます利用されて差が開いていくばかりで自立できない。自立できない上に、持続性も無い。と言う事は人を不幸せにしてしまうという事だと思う。そういう状況が世界の隅々まで進行していっている。こういう事のために科学や技術を学んできたはずじゃないんだけれど・・・・。

何が正しいと主張するんじゃなくて、新しい選択しを提供したい

M:そういう果てしない経済成長のシンボルですね、原発は。

F:電気がシンボルですよね。そして一人一人の心の中でもシンボル化しちゃっているんですよね。皆が電気製品を手に入れる事が豊かだと思っている、物を得る事が豊かだと思っている。50年前、僕たちはユートピアとして思い描いていた事は、今実現している。そのユートピアに居るのに実現してみたらユートピアじゃなかったって事に日本人は皆 気がついた。なのに外国に行ってユートピアだと駆り立てている。おかしいよね。

僕は発明家だから、何が正しいと主張するんじゃなくて、新しい選択肢を提供したい。そして、どのような選択肢を提供できるかなって発想するんですね。
それはやっぱり、自立型で持続型の選択肢、困っている問題が一つずつ解決されていく。別に社会を変えようとしたんじゃなくて、新しい選択肢を提供したいんですね。
そして、幸せになる。その切り口としての「非電化」という事を思いついたんですよね。今、選択肢が一つしか無いんですね、だから他の選択肢を見せてあげる。どれが本当に幸せな事か見せてあげるというのが 意義が有ると思って 西暦2000年に「非電化」という言葉を思いついて その切り口から思い切って切り込んでみようと思ったんですね。

自立型で持続型のライフスタイルで自分の生活を取り戻す

M:私が「非電化」に触れて素敵だと思ったのは それだけだと「電気を使わない」という事しかイメージされないかもしれませんが、今お伺いしていて、その前に自立型で持続型という事を考えられて、その分かり易い形として「非電化」という言葉が有ったんだと分かり、なる程なあと納得がいきました。「自立型で持続型」で有るという事は、今までは「果てしない経済成長」に巻き込まれていた「自分の人生」とか「自分の暮らし」を 自分の手に「取り戻す事」だと思うんです。

経済発展で 色々なものを持っているにも関わらず、不幸な気持ちになっている。今、私達は焦りとかいらだちを持ってしまったと思うんですけれど、昔は 豊かな人間関係とか豊かな心持ちのまま 物を持てると思っていたのに、実は物を沢山持つ中で 沢山の目に見えない大切な物を捨てざるを得なくて、それが私達を焦らせたり苛立たせたりしている。自殺者が増えたり 凶悪な犯罪も目立っている。
「非電化」という新しい生き方の中に 自立という事が大きく有るというのは凄く嬉しいです。誰かが誰かを利用するとか 巻き込まれてしまうと言う事じゃなくて、自分の人生を十分に生きるための言葉だと分かって、やっぱり素晴しい言葉だと思いました。その象徴として「非電化」は有るのですね。とても嬉しいです、私。そう考えると、「節電」という事と「非電化」という事は全く違う事だと分かりますね。

F:節電という行為そのものは尊いと思うのだけれど、ただ、「3.11 原発事故」を「節電」という問題にすり替えられてしまうのはとても困るね。
「3.11 原発事故」はもっともっと大きな問題を提起していると思う。エネルギーに依存し過ぎている社会の危うさ、それを皆が肝に銘じたというか、深く感じてエネルギーに依存し過ぎない社会を目指そうという大きな決意が生まれたような気がするんだけれど、それを「節電」という事にすり替えられてしまうととても怖いですね。節電をするために省エネタイプのエアコンを買う人が非常に増えているらしいです。今まで使っているものを捨てて新しいエアコンを買うんですから、その人にとって全然得には成りません。そんな風に皆のためにする行為は尊いのですが、一つの問題を解決するのに、又、お金を払って新しい電化製品を買う事によって解決しようとする。あらゆる問題を何かを買うことによって、或いは電気を使う事によって解決していこうというマインドセットそのものが今回の事故を引き起こしたものなのにね。
エコポイントもそうでしょ。地球温暖化だ、大変だといってエコポイントが導入された。値段に比例してエコポイントがついたから、皆大型に買い替えた。だから消費電力が導入前より上がってしまった。今までいつもそんな風にしてきたんだけれど、今回の「3.11」は今までのように成ってはいけないんだよね。それでは又再び 原発事故を起こしてしまう。で、どうすんの?って。自分たちで考えないとね。

「マインドセット」を変える

M:自分で考えないとね。でないと、本当の意味での「マインドセットを変える」と言う事が出来ないですよね。

まだまだ沢山の人達が日本には資源が無いと思わされています。けれど、その「資源」という言い方が既に「限られた資源」つまり、「工業的に経済発展して行くための資源」という意味でしかありません。それ以外の資源を日本は豊かに持っていました。例えば森だとか海だとか四季が有ったりだとか、人と人との繋がりだとか。沢山の資源が有ったのに それを資源と見なされなかった。資源が無いから原発がないと日本はやっていけないと思い込まされてしまった。原発は危ないかもしれないけれど仕方が無いと いまだにたくさんの人が思っています。

私達の会社で「非電化籾すり機」を作らせていただきましたが、発明家というのは新しく物を生み出す人だとは思っていたのです。けれど、先生は先に仕組みというか人と人との繋がり方とか生き方とか考えられて、そこに必要なものとして、例えば、非電化籾スリ機が有ったりするという所がユニークで素晴しい所ですね。籾すり機をただ買うのではなくて 生産者と繋がったり横の繋がりができたりしていく所が大切だと思うのです。

何かを得ると何かを失うという哲学が、経済成長と共に失われてしまった

F:物はあくまで手段であって目的じゃないですよね。何かを得ると何かを失うという哲学が 日本には有ったから何かを得るときは本当に慎重にしてきたけれど。これでは経済が成長しないんだな。だから経済成長とともにその哲学は失われてきたんだな。

おおざっぱに言えば 得る事によって幸せになった時代は有ったと思う。けれど、どこかで一線を越えちゃった。悲しい事や苦しい事等を何とかしたくて皆で努力したり工夫したり協力して、辛さが少し解決できた・・・こういう風な人類と科学や技術の付き合い方は危うくないと思う。つまり、それらの上に文化が重く乗っかっているから。
文化というのは楽しさだったり幸せだったり、人に対する優しさだったり。それが経済等の合理性に乗っかって、しかもゆっくり。ゆっくりだったら、つい少し踏み外しても、やり方変えようと言うフィードバックが出来る。こういう進歩の仕方が危うくないと思う。こういう状況が1960年くらいまでかなあ、この国にも有った。
最初は辛い事を辛く無くしようとして色々な技術が出来てきた。それはそれで良かったんだけれど、どこかで快適・便利・スピードアップのためにそれ以外のものは失わざるを得なくなった。それがこの20年30年の電気の意味だった気がするね。この3.11、その意味を、考え直す良いチャンスだと思うね。電気を使うことを止めようと言う議論じゃなくて、もう一度幸せとか豊かさをそれぞれの立場で考えて、ライフスタイルを変えてったら良いと思うね。例えばお年寄りとか体に障害が有ったり病気になった人とかは、電気を使った方が良いような気がするな。

M:確かに、今の若い人達は生命エネルギーが弱いと言われていますけれど、考えてみたら、自分の肉体を使って 何かを感じる喜びとか何かを仕上げる喜びを電化製品が奪っていっていますね。命の鍛錬というか、肉体がどんどん衰える方向にしか電化製品がサポートしなかったと言う事ですね。不幸な事ですね。

F:今はもう『発明は必要の母』になっちゃった。必要なものが無くなったんですね、だから発明したものを必要だと思わせている。何にも自分では出来ない人に、どんどん物を売る。依存社会を形成することによって、経済をひたすら大きくしてきたから。
そのために支出が大きくなくちゃいけない。支出を大きくするためには収入が大きくなくちゃいけない。こういう風にして無理矢理、経済を大きくしてきたけれど、エネルギーの大量消費に裏打ちされていないと経済が大きくならない。それは不可決の条件ですね。もちろんそれで環境問題、安全の問題、エネルギーの奪い合いで平和も脅かす。いつもこの繰り返し。

幸せ度をあげながら、トータルなエネルギー消費量を減らす。

F:エネルギーに依存しすぎる社会が危ういと分かっているんだけれど、経済とエネルギーが一致するものだと見えなかった。3.11原発事故でそれが分かった。少なからぬ人が原発を止めようと思っていますね。でも、今の電力使用のシステムをそのままで原発を止めようと言うのは危なすぎるね。
代替エネルギーの事も、誰かが儲かる形の自然エネルギーじゃダメなんだよね。又「罠にはまる」と節電ブームで エアコンの売上げが前年より遥かに上がるような事が起きる。エネルギー消費そのものは変えずに、炭酸ガスが増えるのがいけないという不思議な議論がありましたね。エネルギー消費は上がり、その中に占める電力消費を限りなく上げようとした。そんな流れそのままで原発を止めて自然エネルギーにしようというと、それも有り得ない話になってしまう。余りにも荒っぽすぎる。まずは、幸せ度をあげながら、トータルなエネルギー消費量を減らす。その中に占める電気エネルギーを減らそう、ただし幸せ度をあげながら。

エネルギー問題は、地域レベルで持続性と雇用という面から考えないといけないんじゃないか。エネルギーのローカル化をした方が良いんじゃないか?
つまり、使う人達の場所で、使う人達が作る。そこに雇用が生まれ、持続性が出来、安全性は損なわれない。それは地域地域によって全く違う形に成る。

地域で子ども達を守る「那須を希望の砦に」プロジェクト

M:人が自立して持続的に生きていくというのは、自分の人生とか自分の命を自分に取り戻して、自分の体を取り戻すように、人が結びつきながら地域が地域の力で持続させていくという事が、先生が今取り組んでいらっしゃる「那須を希望の砦に」というプロジェクトのように子供たちを地域で守っていく力になるんですね。

そう言う事は ぽつんぽつんと言われていたと思いますが、現実の問題として本気で取り組まざるを得ない所に3.11以来 来てしまいましたね。

F:昔は国家が未熟で国民の安全と財産が守りきれなかったから、地域で守る、地域で守りきれないときは、家族で守ってきた。けれど、国家が強くなってきてその必要がなくなり、地域や家族が自分たちの中で安全を守る機能を放棄したんだよね。ところが、3.11でこの国は国民の安全を守ってくれないという事が分かったんだよね。だから「那須を希望の砦に」というプロジェクトでは自分たちで、被爆量を計りまくって、各チームで相談して発表し合って、トータルの被爆量をお母さん自身が計算できるようにしよう、そして、自分のこどもの被爆量のボーダーラインは母親自身で決めていく。

M:今「節電」と言われている事って脅しのような圧迫を感じます。辛い昔に戻るぞと。色んな事が、本来の消費者の要望じゃない所で起こっている。それに巻き込まれて煽られてしまっている。私も、今食べる物が明日の体を作るように、こうしてお話しする事が明日の日本を作ると考えると色んな事が、日常が大切だと思って仕事等して来たのですが、人との繋がりを作りたかったけれど難しい事でした。

先生の場合、発明品が有って、しかも愉しい物であって、人と人の繋がりを作るときの押しピンのような役目を果たしているんですね。今回私達は籾スリ機を作らせて頂いて、私が長年提案したいと思ってきたライフスタイルを、一つ現実に足を置けた感触が有ります。先生は物ではなくてライフスタイルを生み出してこられたんだと思います。
それが衝撃的な出会いでした。長年、女性はそう言う考え方をするけれど、男性は数字というか経済からものを考えると思っていたので先生を知って驚きました。

F:手法はミッシングリンクを探すという手法。理想的なスタイル、時にはビジネスモデルを考える。そうすると必ず何か不足しているものが見つかる。それさえ有れば、みんなが繋がる。それを見つけるのが発想の一つ。多くの人は物から発想する、そしてあらゆるリンクを無理矢理そこにつなげようとする。

M:非電化籾すり機は 正しくその「ミッシングリンク」だったのですね。

作る人と使う人との間に共鳴現象を起こさせること、
それであるからにはお互いに「響く心」がないといけない。

F:「日経デザイン」はデザイナーのための本なのに 3.11以降のデザイナーに話したい事が有るだろうと言う事で、僕の話が載りました。(日経デザイン2011年5月号)普通の人は有る物からしか選べないんだ。でもね、「いぶかしさ」はつのってる。人は、この物が本当に自分に幸せをくれるんだろうというかという漠然とした「いぶかしさ」を持っている。
3.11が起こってしまったということは、物が増えるから幸せ度が上がるかというとそうじゃないと分かった。もっと「人が心に持っている幸せというものに形を与えてあげる」これなんじゃないですか?僕のデザインの定義は「作る人と使う人の間に共鳴現象を起こさせること」なんだ。

それであるからにはお互いに「響く心」がないといけない。自分がまず、心を持たないといけない。使う立場の人に「僕たちの求めている幸せはこれなんじゃないだろうか」という「形」を与えるのがデザインという仕事だと思う。今までのデザイナーとは違う感性を養わないといけないんじゃないか?

何を幸せや豊かさの指標として提示できるのか、今はデザイナーの思想が問われているね。それを「これだ」と選べるようにしてあげないといけない。だから、ムーヴメントを起こして行くプロデューサーとしての役目が求められると思う。人が心の中に抱く幸せに形を与えて、それを幸せと感じられるようなムーヴメントを起こしていく、つまりは「文化活動」なんじゃないか。デザイナーは「生産活動」と「文化活動」の両方のプロじゃないといけないんじゃないか。・・・と好きなことを言っていたら案外受けて、デザイン関係の講演が色々来て・・・あっはっは。

これからのものづくりは、文化を変える努力をしないと。生産者と消費者が一緒に文化を創っていく仲間であって、活動が有って、その活動の一環として物が創り出されていく。そんな風に自分自身を変えて行かなくちゃいけないね。自分自身の文化を変えないで 製品だけを変えていこうとする。スローライフが流行っているからスローライフな製品を作ろうとする。それじゃあ、グローバリズムにハマっているだけで、拙く競争しているだけだから、最初から負けると分かっている。

M:私達の工場は63年やっているのですが、大きな所に巻き込んで頂いた事が無い、つまり、下請けをした事が無いのです。いつも大もうけは出来ないけれど、何となくやってきたというような。
大きな経済を担っている会社に比べると、中小零細はとてもひ弱だと思っていました。でも、今のお話を聞いていると、これからの時代はこれかなと思いましたね。小さいけれど、自立型の会社としてやっていく事。私にとってデザインというのは「ライフスタイルそのものの提案が形になる事だ」と思っていたのです。レールシェルフも、お客様がご自分で手を加えないと壁に取り付けられないのですが、自分の暮らしの中で何か一つ、ご自分で関わって頂くのが、私達のデザインの形でしたね。
ものすごく小さな試みだったけれど、お客様に自分でやってみる事の愉しさが分かったと言って頂いて、私達にも一つできた事が有ったなと思います。
私達、久宝金属が歩んで来た道、歩んで行きたいと思っている道がこれからの時代に求められているのだと分かり 大変心強く思いました。

本日は有り難うございました。

 
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